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沖縄移住失敗事例
皆さん完璧と感じている沖縄移住計画なのに失敗する理由・・・ご存知ですか?

■沖縄移住の現実と移住失敗
年間3万3千人以上の転入者が存在し移住者は2万5千人以上と言われる沖縄県。様々な理由で帰る移住者の失敗事例と帰る理由に多い項目をまとめてみました。このデータは沖縄移住支援センターが約6年間に亘り収集した移住失敗事例です。



■統計調査から言える沖縄移住失敗の理由
@ 沖縄人から頭を下げて受け入れてくると思っていた。
A 自分の計画は完璧だ!と思い込んでいた。
B 沖縄に行ってから仕事の情報を集めようと考えていた。
C 沖縄を楽園だと考えている。
D 十分な計画をしなかった。
E 沖縄に行けばその後は何とかなると考えていた。
F 移住してからが本当のスタートという意味を理解していなかった。
G 理想が先走りになっていた。
H 最後は誰かが助けてくれる。(何とかなるさと考えている)
I サイトでの情報に頼りすぎている。(自分の目で見てない情報を鵜呑みにしていた.)
J 情報を得るのは簡単だし、その情報があるから移住は簡単と考えていた。
K 本土での引越しと同じ感覚で沖縄に移住した。
L 仕事が見つからなかった時の事を考えていなかった。(ハローワークなら何かは見つかると考えていた。)
M とりあえず安宿生活をし賃貸契約さえ済ませれば何とかなると考えていた。(部屋さえあれば仕事は見つかると考えていた。)
N サイトの情報だけで沖縄を知ったと思い込んでいた。
O 数回、沖縄に旅行しただけなのに沖縄の全てが完璧(楽園)と感じていた。
P 沖縄の海に魅せられて癒されているだけという事に気づいていなかった。
Q 癒される海に見慣れてしまった時の事を考えていなかった。
R mi○iや2ちゃ○ねるなどのコミュニティーで気軽に移住をしている話題を見て簡単に移住できると思っていた。




■沖縄移住失敗事例
年齢(37歳) 出身地(神奈川県) 家族4名・(子供2名:小学校3年・5年)

 沖縄へ移住しようと考え始めたのは沖縄旅行を5回ほど繰り返した際でした。最初は南国で温かく暮らしやすい土地であると感じました。所得は低いと聞いていましたので妻と贅沢をしなければ暮らせるだろうし子供をのんびり育てて休日には海へ行ったり釣りをしたいと考えていました。移住するために貯金もしました。
 移住を決意してから半年後には思い切って沖縄へ移住を決行しました。初めは妻と子供を本土へ残し私がレンタカーを借りて不動産会社を朝から晩までまわりアパートを見てまわり結局、子供の学校の事も考え学校に近いアパートを借りました。
賃貸の契約もなんとか済みマンスリーマンションから引越しました。引っ越してからは毎日、ハローワークへ通ったり求人誌を読み漁りました。1ヶ月過ぎても就職は決まらず妻と毎晩電話で話しながら不安ばかりがつのりました。
このまま就職が決まらなかった場合はどうするかなども1人で考えたりしました。土日はハローワークも閉まっているため海へ行きましたが就職が決まらないことから観光客を見ていると移住なんて考えるんじゃなかった仕事も辞める前に決めていれば良かったと感じました。20社ぐらい面接を受けた頃、もう、最後かもしれないと諦めかけた面接で泣き脅しに近い状態でしたが何とか面接に合格しました。
 直ぐに妻に電話し合格を報告。その後、引っ越しや子供の転校の手続きなどで家族と再会したのは2ヶ月近くでした。家族とともに沖縄移住を果たし安心した事を覚えています。
 私は営業職で就職しました。会社では本土出身者がもう1名いまして少し安心しました。最初は問題なかったのですが就職して3ヶ月ぐらいしたあたりに考え方の違いに気付きました。よく言えばゆとり、悪く言えばいい加減。私の仕事には厳しく自分の仕事はいい加減に見えてきたのです。仕事の事について話をしても県民性の違いがあるのか全てに対して”言い切らない”、○○ぐらい。
○○かな?という判断に困る事ばかり問題が起きれば謝って終りにすればいいという感じでした。
 私は少しずつストレスがたまり”何故沖縄に来たのか”を考え始めました。その頃、妻はパートの仕事を探していたのですがパートやバイトですらなかなか決まらずに妻もストレスをためていました。子供達は楽しく学校へ行っていたのだけが救いでした。(初めは帰りたいとも言いましたが)。
 それから2ヶ月ぐらい過ぎた時、私のストレスも限界、妻との仲も悪くなりました。理由は考え方の違いもありますが私の給与が手当込で14万円、苦しい生活でも沖縄の海やのんびり暮らせるならと考えていましたが実際に買いたい物も買えず海に行くにもガソリン代も気にしている状態だったからだと思います。沖縄へ移住、のんびり海を見ながら暮らす。TVで見た移住者の生活ではありませんでした。
 雑誌などで”海のそばで暮らす風景”や”移住者の楽しそうな生活”は実際に移住してみると100人中1名いるかいなかだと気付きました。
 その後、私たち夫婦は子供を育てて行き大学まで行かせることができないと考え本土へ戻る決意をしました。
こんなはずではなかったなと妻と子供を寝かせた後に語ったのを覚えています。我が家は移住するのに自分たちで移住計画を立てたのでかなりの費用がかかりました。(沖縄移住支援センターさんをその時は知りませんでした。スイマセン)コンテナを借りて40万ほどかけて移住しました。移住してから手元には150万ぐらいしかなく移住後の生活で殆どを使い果たしていました。
恥ずかしい話しですが妻と子供達が神奈川へ帰り安いアパートを借りて再出発するのすら難しい状態でした。
神奈川の就職事情もよく理解していたので帰っても仕事に就けるかわからないという不安もありました。
 実家へ電話し住まわせてもらうことにし妻と子供を先に帰しました。私が一緒に戻らなかったのは帰りのチケットすら購入できなかったのと神奈川での就職も厳しいと考えた事、そして生活費を今すぐ稼がないと食べさせていけないという現実からでした。
私は神奈川へ帰ると決めた後、派遣会社へ行き愛知県の自動車工場で働く契約をしました。この派遣会社は愛知県までの飛行機代金を出してくれるという話でした。本土へ行けばなんとか神奈川までは帰れると考えました。
 愛知県へその後行き自動車の部品工場で朝から晩まで働きました。1週間は昼勤務、次の週は夜勤と体が壊れそうでした。
大抵の人は1週間もたないで辞めていきました。私も指が腱鞘炎(けんしょうえん)になったりして苦しかったです。指が曲がらなくなり毎日、お湯でもみました。残業が40時間以上して皆勤であれば40万円は収入があると聞いていたのに残業は少なく25万円ぐらいが平均でした。それでも20万円以上の収入になると考え半年続けました。カップラーメンやおにぎりで暮らし収入の殆どを家族へ送金しました。
その後、妻との相談の結果、神奈川へ帰る事を決め私も神奈川へ戻りました。
 私は沖縄へ移住したのを後悔はしていません。ただ、もっと事前に下見をしたり計画をしっかりするべきだったと感じています。
また沖縄で暮らしたいという気持ちもあります。次に沖縄へ移住する際は貯金をして沖縄移住支援センターさんの様な支援業者へも相談をして移住したいと思います。


※沖縄移住支援センターでは沖縄移住に失敗した方のご意見を収集しております。お名前など個人情報は非公開にて掲示させて頂きます、ご協力頂ける方はお問い合わせよりご連絡をお願い申し上げます。



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